REPORTS

レポート:#4 新宿 上映&トーク/Report: Screening #4 Shinjuku
2023.12.26

レポート:#4 新宿 上映&トークReport: Screening #4 Shinjuku

2023年10月29日、直前の2日余りにわたるワークショップを経た「KINOミーティング #4 新宿 上映&トーク」が東京都中野区「Space & Cafe ポレポレ坐」にて開催されました。
〈作品から見えた新しい可能性を観覧者とも共有し、より深めていく場〉として開催された本イベントは、トークゲストに写真研究・美術批評がご専門の村上由鶴さんを迎え、ワークショップ参加者12名、一般観覧者17名が参加。前半は、ワークショップにて制作された映像作品「シネマポートレイト」の上映、参加者と村上さんによるディスカッションが行われ、後半はKINOミーティングの前身のプロジェクトから生まれた映画「ニュー・トーキョー・ツアー」を上映。海外に(も)ルーツをもつ人たちがまちに出て、協働して制作する映像作品が放つあらゆる可能性を実感できる時間となりました。

/

「シネマポートレイト」上映 & ディスカッション

シネマポートレイトは、ワークショップの参加者が3人1組のグループになり、まちを歩きながら自らの「ルーツ」を探す旅に出て制作された作品です。旅のなかで記録された語りと風景をあわせ、2分間の映像としてまとめられています。今回のワークショップでは、4つのグループに分かれて新宿の異なるエリアで制作を行いました。イベントでは2つのグループごとに作品の上映、ディスカッションが行われました。

グループA&B上映

〈グループA:出発地=初台駅〉
自身の誕生日の話から始めるM。『ひいおじいちゃんが確か……I’ve never met him before? But like……I think he……なんだっけ』『私のfamilyが……』と、ときおり日本語と英語を混ぜながら、自身が曽祖父の生まれ変わりかもしれないと思う話、家族でおせちを食べる風習がなかったためいまだにお正月のイメージとしておせちにピンと来ないこと、むしろカナダでホストファミリーと過ごしたときのほうが新年らしさを実感できたことについて語ります。

これまでも複数の東南アジア諸国で暮らしてきたインドネシア人Pは『人生のなかで一番難しい勉強は日本語の勉強』と話し、さまざまな文字をどのように勉強したかを細かに語ります。作品に流れるのはまちなかの看板や標識に書かれた文字。働く文化の違い、特に時間に対する感覚について、M同様に英語も織り交ぜながら話を進めていきます。

『いま、新宿を歩いています』撮影時の状況を実況するようにはじまるNの作品。初台のまちなかにある監視カメラを捉えながら、パンデミック時の外出自粛が厳しかった頃を振り返りつつ自身の監視カメラに対する思いを語っていきます。『監視カメラが怖い』『パンデミックの頃、監視されてる気分になった』『プライベートがプライベートでないと感じる』グループAのなかでも、カメラと個人の関係性にフォーカスが当たるユニークな内容となりました。

シネマポートレイトグループA

〈グループB:出発地=東中野駅〉
Rの作品は、海外出身の両親との記憶について。海外に住んでいた際、リボン装飾のついた自転車を誕生日にもらったときのことを振り返り『私もそのピロピロ(リボン装飾)デビューが嬉しくて、周りのみんなに溶け込めたって。この自転車があれば私もここの人間だって思えた』と、語った。また、両親が日本語を読めないことをフォローした思い出など、多文化に生きた幼少期ならではの感覚が垣間見えました。

台湾人のJは自身にとって大切な場所である「公園」について。映し出される風景は公園の遊具などから、神社の風景へと変わっていきます。東京で一人暮らしを始めたばかりの頃、新宿の神社に毎朝足を運んだこと、日本の神様にまつわる伝説や神話が好きであることなど、新宿を離れた場所の神社や山についての話へ展開していきました。

Sは住宅街にある花壇の写真とともに、自身が祖母の家にあったパンジーの花が怖かった、という記憶について話します。『周りは白いのになかが濃い色、そこがすごく怖い。(パンジーを)見てると見られてる変な感じがする』
偶然通りすがったライオンズマンションを写しながら、幼少期に通ったピアノ教室がライオンズマンションのなかにあった話、そして朝鮮半島にルーツをもつ祖父の話へ。映像には終始、住宅地や工事現場などが映し出されていました。

シネマポートレイトグループB

グループA&Bディスカッション

上映終了後、モデレーターの関あゆみ、参加者、村上さんとのディスカッションへ。関はあらためて村上さんをゲストに呼んだ意図について「シネマポートレイトにおいて写真が果たす役割について考えたい」と話しました。

これを受け、村上さんがまず着目したのはグループAの「写真に捉えられた文字情報の多さ」について。一般的な写真作品の考え方として、通常、文字を写すことは避けられる傾向にありますが、村上さんはグループAが「撮影者の意図を持ってルーツに関わる文字を捉えている」と感じたそうです。
また、このグループでは全員日本語と英語を理解できるメンバーであったことも語られる内容に大きく影響したそう。Mはもともとバイリンガルな相手に対しその時々で出やすい言語で話す癖があり、今回はこの癖を出せる安心感もあり「自分らしく話せた」と振り返りました。もしかすると言語に対する意識が、映し出す対象にも自然と作用していたのかもしれません。

グループA&B/ディスカッション

対してグループBは、村上さん曰く「作品を撮る意識がある」印象があったそう。主語のない抽象的な語りが多いことから写真と語りの組み合わせの意図を探る部分が多く、村上さん自身映像を追いながら戸惑いを感じていたそうです。
写真を鑑賞する経験は本来「無時間的」=静止画を鑑賞者それぞれのペースで鑑賞するものでありながら、シネマポートレイトの手法は10枚の写真を1枚ずつ鑑賞する時間が規定されています。これにより鑑賞者に「ゆっくり見てたい」あるいは「次を見たい」という、時間に対する欲求が生まれることについても指摘しました。

グループBは編集過程を振り返り、撮影前半は具体的に「なにを見つけて、なにを連想して語るか」の意識がはたらく参加者も多かったそうですが、慣れてきた後半では参加者個人の感覚にまつわる話など、抽象度の高い内容が語られる場面が増えていた、と話しました。そのため、グループBは後半に出てきたキャッチーな言葉を優先的に抽出し「鑑賞者の想像力に委ねる」という編集方針をとることにしたそうです。この方針が結果的に、鑑賞者を惑わせ、思いを巡らせることにも繋がったのでしょう。

グループC&D上映

〈グループC:出発地=早稲田駅〉
モンゴルから来日したTの作品は『日本はきれいで花や緑、木が多い国というイメージだからそういう写真を撮りました』という語りと同時に公園の風景が映し出され、外観がデザインされた自販機を『魅力的に感じるから撮りました』など、具体的に撮影意図を語りながら進みます。『やっぱり緑があると雰囲気がのんびりするような感じ。私にとってはすごく大事な存在だなということをいつも考えています。』

タバコとコーヒーが好きというKは、喫煙できるカフェを撮影中に見つけ『新しいスポットを発見してうれしいです』と語ります。そのあともT同様に『これを撮った理由は……』と、やはり撮影意図を説明する語りが続き、合間に別の参加者の相槌も収録されていました。スーパーで見つけたミカンを被写体に、ミカンの産地として有名な地元での祖父母との思い出について語りました。

中国人のXは偶然2年前に西早稲田駅付近のシェアハウスに住んでいたことがあり、『この写真を撮りたい理由は、前住んだ場所は禁煙のシェアハウスだったので、吸いたいときにこのコインランドリーの前の灰皿で吸ってました。』とK同様に喫煙に関する話題に。まちなかの音が流れる時間が多く、最後はチェーン店とコンビニの外観の写真に対し、それぞれの入店音などがかぶさり終わりました。

シネマポートレイトグループC

〈グループD:出発地=四ツ谷駅〉
中国人のLは自身が喫煙者であること、田舎が苦手で都市に出てきたこと、都市の魅力についての話の合間に『ゴミが好きなので』『私はよく右翼と左翼と……間違ってしまいました』という具合に、文脈が不明瞭な発言の断片が挿入されながら進みます。『それは楽しい?』『楽しいです』など、他の参加者との会話が収録され、含みの多い構成となっていました。

Oは大学で映像制作について学んでいた経験やそこで得た作品制作に対する考え方、就職後の心境の変化について語りました。四ツ谷のまちにあるものと自身が一緒にポーズをとりながら映るスナップ写真が多く、なかには撮影者と鏡越しに一緒に映っている写真も。他の参加者との会話もそのまま含まれるなど、撮影中のグループの様子がそのまま伝わってくるような作品となりました。

Yの作品は、迎賓館赤坂離宮前でピースサインをしながら撮影した写真からはじまります。迎賓館の歴史にまつわる話から、家族との他言語でのコミュニケーションについての話、祖父母が亡くなった際の遺産相続の話、さらにキリスト教の宗派や礼拝時の話、聖体拝領にまつわる話などへ展開していきます。内容のトーンとは裏腹に、終始にこやかな参加者の顔が映し出されていきました。

シネマポートレイトグループD

グループC&Dディスカッション

村上さんから、映像制作経験のある参加者がいる場合、演出の入った構図になる傾向について指摘が挙がりました。ここで関は、#4はこれまで実施されたシネマポートレイトと事前オリエンが異なる点を補足。従来は被写体であり語り手である「探す人」が映像編集を担当する傾向にあったところを、今回は聞き手である「録音する人」が「監督」として映像編集をリードするように役割を定めたそう。そうすることで、1人が1作品をつくるのではなく、グループの3人が3つの作品をつくることになります。。グループ内のすべての作品において三者の意図が絡むことで、3つの作品がそろって初めて「一つの作品」として成立しており、協働の仕方がそのまま表現にあらわれているのかもしれない、という仮説に至りました。

グループCは全員から「予想外を楽しめた」という感想が挙がりました。想定していた行き先や撮影内容から外れることも多く、だからこそ得られた写真・録音のとれ高に面白さを感じた点が、編集の成果にもあらわれていたようです。
特にXが、自身が住んだ経験がある西早稲田の「場所のイメージを伝えたい」という意図から環境音を多く取り入れていた点について、村上さんはシネマポートレイトにおいて写真と音の関わり方が、参加者の「ルーツの感覚」を表現する上で効果的であると述べました。

グループC&D/ディスカッション

グループDに関しては、語られる内容が深いところに入り込みそうになる瞬間に次のトピックへ移り変わっていく展開のあり方に、各トピックを鑑賞者が自身で能動的に考えるちょうどいいきっかけがある、と村上さんは話しました。関からは今後の本格的な映画制作に向けて、シネマポートレイトが参加者の「自己紹介」の機能も担う点が挙げられ、この手法がもつさまざまな可能性が浮かび上がりました。

普段は「カメラ・写真のワルさ」に焦点を当てて研究をしていると言う村上さん。今回のシネマポートレイト作品を通して「写真のポジティブな可能性を感じた」と話しました。
「目には見えないものがインタビューの過程で見えてきたり、インタビューの時間の外にあるものも見えてくる。それが共有できるという点に、写真の可能性があるかもしれない。あまり疑ってもよくないかも、とちょっと反省もしました」

グループC&D/ディスカッション

「ニュー・トーキョー・ツアー」上映 & ディスカッション

休憩を挟み、KINOミーティングの前身プログラム「Multicultural Film Making ルーツが異なる他者と映画をつくる」から生まれ、2022年に完成した映画「ニュー・トーキョー・ツアー」の上映が行われました。「シネマポートレイト」ワークショップを通じて語られた参加者のエピソードを台湾出身の鄭禹晨(テイ・ウシン)監督が一つの脚本に束ね、参加者と一緒に4ヶ月間映画制作を実施し生まれた作品です。

「ニュー・トーキョー・ツアー」 予告編

上映終了後に鄭監督、助監督のショウさん、村上さん、プロデューサーを務めた阿部によるディスカッションを実施。話された主なトピックについて要約してご紹介します。


〈コミュニケーションツールとしての写真〉
作中で登場する際、主人公のウンジに「撮影していいですか?」と話しかける中国人のト・シキ。最初は戸惑っていたウンジも、一緒にまちなかを撮影してまわりながら交流を深めていきます。
制作メンバーとのシネマポートレイトの過程を経て、鄭監督は「写真=コミュニケーションのきっかけ」というアイデアが自然と浮かんだと言います。
研究や執筆活動以前は大学で写真を学んでいたという村上さんも、在学中に「コミュニケーションのために写真を撮り始めた」という人が特に留学生に多かった点を回想しました。撮ることが目的だと見ず知らずの他人に話しかけることができたり、あるいは話しかけられても許容できる状況になりやすく、人とのつながりが生まれる。そういったコミュニケーションツールとしての写真についても考えさせられる作品であったと話します。

「ニュー・トーキョー・ツアー」/上映 & ディスカッション

助監督を務めた鍾淑婷(左)監督を務めた鄭禹晨(右)

〈『自分のために撮る』写真〉
当初、写真に全く興味がなく、おそらく「目的なく自分のために写真を撮ること」に戸惑っていたであろうウンジは徐々に変化していき、映画の終盤ではなにげない風景をフィルムカメラに捉える様子が描かれます。
村上さんは「『目がカメラだったらいいのに』『いまこの一瞬を残したい』と思う瞬間は誰にでもある」と話します。写真の出来栄えはさておき、ごく個人的な動機から撮られた写真が撮影者の当時のエモーションだけで魅力的に見えることは往々にしてある、と分析します。ウンジが終盤で撮影していた写真も、他の人からすれば「いつもの夕方の橋の写真」にしか見えなかったとしても、彼女にとっては重要な一枚となったのかもしれません。

「ニュー・トーキョー・ツアー」/上映 & ディスカッション

〈鑑賞者へ問いを立て、宿題を残す〉
KINOミーティングでは、プロジェクトの経験を参加者個人にとどめるのではなく、「作品制作」というプロセスを通して、多くの人に作品を共有する意識をもつことで生まれるコミュニケーションも期待して実施しています。村上さんはアート(問い)とデザイン(答え・課題解決)の違いも引き合いに、「ニュー・トーキョー・ツアー」には「問い」の部分が大きく、「このシーンの意味や背景は? 私だったらどうするか? とモヤモヤ感じたり、鑑賞者に宿題として残るシーンも意図的に入れてるのでは」と感想を述べました。このような作品自体の性質、そして制作時の向き合い方は、シネマポートレイトにも共通して言うことができそうです。

編集後記

「写真の良いところは誰でも撮影者として関わることができる民主性で、〈開かれた道具〉としてコミュニケーションや自己紹介のツールになることを再確認できた」とイベントの最後で語った村上さん。その言葉どおり、シネマポートレイトは写真が撮影者/被写体同士が人間関係を築くことや、自己内観を手伝う性質を存分に活用していることをあらためて認識することができました。
#3と比べ、今回は作品制作に際して強い意図を持ったメンバーが多かったからなのか、村上さんのわかりやすい写真論解説が加わったからなのか、「意図の駆け引き」を意識する作品が多かったように感じました。どんなに撮影や編集の意図を固めてもその外側へすり抜けて行ってしまうものごとの莫大さ、「旅」の時間や参加者自身について無限に思いを巡らせることができてしまうシネマポートレイトの底知れなさに圧倒されています。

編集後記/

ーーーー

トークゲスト:村上由鶴[写真研究・美術批評]
東京工業大学環境・社会理工学院 社会・人間科学コース博士後期課程在籍。日本写真芸術専門学校非常勤講師。公益財団法人東京都人権啓発センター非常勤専門員。著書に『アートとフェミニズムは誰のもの?』(光文社新書)。

筆者:瀧瀬彩恵
1990年東京生まれ、米国育ちのち神奈川育ち。編集・執筆・翻訳など言語化や伝達に従事する傍ら、言葉と身体について考察している。2022年、自身の身体感覚・言語感覚・アイデンテティの周辺にまつわるエッセイ集「言葉は身体は心は世界」を上梓。様々な分野の表現者と、文筆と広義の「翻訳」を通して協働している。現在は東京圏と静岡県富士市で二拠点生活を実践中。 富士市吉原商店街を拠点に活動する文化芸術プラットフォーム「吉原中央カルチャーセンター」共同主宰。