レポート:Multicultural Film Festival「語る、交差する、そして映画が生まれる。」前編:DAY 1
執筆:萩原雄太(演出家・かもめマシーン主宰)
アメリカではICE(移民当局)が強硬な取り締まりを実行したり、イギリスでは大規模な移民排斥デモが行われたりと、いま、世界中で移民や移民をルーツとする人々に対するバックラッシュが相次いでいます。そんな状況のなかで2026年2月28日、3月1日に開催された、KINOミーティングによる「Multicultural Film Festival」は、文字通り「多文化」に焦点を当てたわずか2日間の小さな映画祭。「語る、交差する、そして映画が生まれる。」というタイトルのもと、KINOミーティングが制作した3本の作品と、このテーマに響き合う2本の招待作品の上映、そして、各上映後には、ゲストを招いたトークセッションが実施されました。
映画制作が生み出すサードスペースProgram A
Program A 上映作品『ニュー・トーキョー・ツアー』 + メイキング制作:KINOミーティング/2022/80分
午前からの上映にもかかわらず、会場となった東京都現代美術館の講堂には数十名の観客が集まったフェスティバルの初日。開場して間もなく、スクリーンには「シネマポートレイト」が映し出される。本作は、各プログラムの長編作品の前に上映されるKINOミーティングによるワークショップで制作された小作品群で、海外に(も)ルーツをもつ人たちによる語りが、インスタントカメラで撮影された東京の風景にオーバーラップする。そして、続いて上映された1本目の長編作品は、KINOミーティングの前身となるアートプロジェクト「Multicultural Film Making ルーツが異なる他者と映画をつくる」で制作された映画『ニュー・トーキョー・ツアー』とそのメイキングだった。2022年に製作されたこの映画は、現在はKINOミーティングにも運営スタッフとして関わり、自身も台湾にルーツを持つ鄭禹晨(テイ・ウシン)によって監督された作品。プロジェクトに集まった海外に(も)ルーツを持つ参加者たちが、出演だけでなく、撮影、照明、音声といった撮影クルーとしての作業も手がけている。
この物語は、仕事も恋人も失った東京在住4年目の韓国人・リーを主人公に展開される。ある日、東京に来たばかりの中国人・トシキと偶然出会ったリーは、トシキによる「観光ツアー」に巻き込まれてしまう……。
4年前の作品ではあるものの、かれらの生み出す物語を見ていると、ごくごく小さな偏見や無意識の差別がかれらの生活のなかに無数にあることに改めて気づく。特に象徴的だったのが、企業の面接官から「なぜ日本で働きたいのですか?」と聞かれたリーが「日本に住んでいるから、日本で働きたいんです」と、答えるシーン。かれらは、理由があるから日本で働くのではなく、ここに住んでいるから、ここで生きているのだから日本で働く。しかし、そのシンプルな理由は、なかなかこの社会では受け入れられない。
この本編終了後には、監督のテイ、ワークショップ設計を担当した森内康博とともに研究者の大橋香奈さんを迎えたトークセッションが実施された。
大橋さんは、この映画の感想として、次のように話す。
「参加者のエピソードが結び合って、ひとつの作品になっていきますよね。ひとつひとつの断片的なエピソードを通じて、自分とは異なる文化的背景をもつ他者が感じている『当たり前』や『違和感』への想像をかき立てられました。また、参加者の多くは20〜30代の若い世代。まだどこに定住するかが定まっていない年代です。そんな状態で移動をしている若い世代の感覚を、とてもみずみずしく受け取りました」
「移動」をテーマにした映像エスノグラフィー研究を続けている大橋さんは、2019年にTokyo Art Research Labにて開催されたスタディプログラム「‘Home’ in Tokyo 確かさと不確かさの間で生き抜く」のナビゲーターを務めていた人物。じつは、KINOミーティングに携わる以前、監督のテイは、大橋さんのプログラムに参加したことをきっかけにして、学生時代以来中断していた映像表現を再開したのだという。
「大学で映像を学んでいたのですが、商業的な映像に携わっていると、いったい誰のために映像を撮っているのか……と違和感を覚えて、映像とは関係ない会社に就職したんです。でも、大橋さんの講座を受けてから、取材やインタビューを通じて、自分自身の価値観が変わるドキュメンタリーの魅力を知りました。その経験のおかげで、その後、KINOミーティングにも飛び込むことができたんです」
40分にわたるトークセッションでは、作品創作の過程についてもさまざまな話が飛び交った。今作のシナリオは、監督のテイ自らが執筆。しかし、完全にゼロからテイが書いたわけではなく、参加者たちが実際に体験したエピソードを詰め込んでいる。
「最初、ミーティングで提出したシナリオは、日本に来たばかりの外国人と、日本に少し長くいる外国人が出会い、『古参』と『新米』という立場の違いから東京を観光するというもの。それは、わずか2〜3行しかないあらすじでした。そして、この観光ツアーのなかで、どんなことが起こるだろうか、と参加者たちと一緒に話し合い、かれらの実体験を詰め込みながら、シナリオが完成した。
ただ、参加者の実話をフィクションに盛り込むにあたっては、使用の承諾を得るためのコミュニケーションを丁寧に取りましたね。過去の好ましくないエピソードを思い出すことで、参加者がふたたび傷つくことがないように、最大限の配慮をしました」
このようにして慎重に集められたエピソードは、過去に自分が体験した記憶として映画のなかで再び演じられる。一般的な劇映画とも、ドキュメンタリー映画とも異なったその構造について、大橋さんは次のように指摘する。
「痛みを伴うような経験を演じなおすことで、参加者の気持ちはさまざまに動きます。ここには、体験を乗り越えるという効果があるのかもしれませんね」
そもそも、KINOミーティングは、完成した「作品」のみでは終わらないプロジェクト。
海外に(も)ルーツを持つ人々との映画制作を通じてコミュニティが生まれたり、小さな差別を演じ直すことで、その記憶を乗り越えるなど、作品創作の過程もまた、このプロジェクトにとっては重要な意味を持つ。そんな映画制作というプロセスについて、大橋さんが解説した次のような理論は、これからのKINOミーティングにも大いに参考になるものだった。
「ある研究者は、多文化の背景をもつコミュニティにおける参加型の映像制作に対して『サードスペース』という言葉を当てはめていました。参加者ひとりひとりが生きている現実としての第一の空間、メディアにおける表象空間として広がっている第二の空間とともに、人々が混じり合いながら創作し、学び合う第三の空間がある。映像制作を通じて、異なる価値観や背景をもつ人々が協働するサードスペースを生み出すことができるんです」
サードスペースとしての映画制作。そこで経験を積み、もういちどファーストスペースに戻ったとき、その見え方は大きく変わるだろう。映画制作という仮想的なコミュニティは、そんな「変化の場」としても機能するのだ。
映画よりも隣人関係のほうが大切Program B
Program B 上映作品『夏休みの記録』監督:川田淳/2025/95分
午前中に上映された『ニュー・トーキョー・ツアー』に続いて、午後には招待作品として『夏休みの記録』の上映と、監督である川田淳さんによるトークイベントが行われた。
この作品は、川田さんと同じマンションに暮らすクルド人姉弟が夏休みの宿題をする様子と、母親たちが日本語を勉強する姿を記録したドキュメンタリー。2019年から近所に暮らす在日クルド人たちと、日本語学習支援などを通じて交流してきた川田さん。2023年、かれらの生活を記録するためにドキュメンタリー映画の制作を決意した。
「かれらの存在は『クルド人』『難民』『仮放免者』といった言葉で表され、ひとりの人間として見られる機会はわずか。個人が持っている思い、経験、背景、文脈……、そのようなものは置き去りにされてしまうんです。そんな、置き去りにされた『個人』を集め直し、その存在を描くような映画をつくりたいと考えました」
しかし、『夏休みの記録』は、他のドキュメンタリー映画と大きく異なる。その理由のひとつが、映画の中に出演者たちの顔がまったく映らないこと。出演するクルド人らのプライバシーに配慮し、川田さんはかれらの手元のみを撮影。90分の上映時間のうち、大半の時間が、テキストやノート、文字を書く手に向けられたショットだった。それなのに退屈を感じないのは、学習するかれらの手や、授業中のなにげない会話などを通じて、クルドの人々の生き生きとした表情が浮かんできたからだろう。
また、ひと夏の学習の日々を描くこの作品には、大きな出来事は存在しないことも特徴のひとつ。そこでは、日本語を学習する大人たちと、夏休みの宿題をこなすこどもたちの姿が淡々と描かれるのみだった。
「大きな出来事ではなく、なにげない風景、なんてことのない会話の中にこそ、その人の取り替え不可能な部分が見えてくる。個人という存在は、そんな小さな断片にこそ刻まれているのではないかと思うんです」(川田さん)。
こうして、映画『夏休みの記録』は完成し、各地で上映が行われている。けれども、そもそも、川田さんにとって映画制作は必ずしも最優先事項ではなかったという。前述の通り、川田さんは、2019年から日本語を教えるボランティアを務めていた。クルドの人々との関係は、映画を介したものではなく、まず隣人としてのそれであったのだ。
「隣人としての関係を壊してまで映画をつくりたいとは思わなかったので、カメラを回しながらも、普段通りの日本語教室を運営していました。この作品には、かれらの国籍の話や故郷に対する思いなど、ドキュメンタリー映画としては重要な会話でも、話を深掘りしていない箇所がいくつかあります。これは、映画監督ではなく日本語教室の先生として話を聞いていたからなんです。
また、作品の撮影期間を夏休みに限定した理由も、同じく隣人としての関係が影響しています。撮影期間を明確にしなければ、かれらに対していつまで撮影するんだろう……というプレッシャーを与えてしまう。期間を限定してかれらに安心感を与える必要がありました」
まず関係があり、この関係から映画が生まれる。そんな順番は、「語る、交差する、そして映画が生まれる。」という映画祭のタイトルにも響き合う態度だろう。映画ではなく関係を最優先とすることで、新たな表現が生み出されていくのだ。
トークイベントの最後、川田さんが「共生」について話した言葉が、とても印象的だった。
「ぼくは、『共生』という言葉は使わないようにしています。なぜなら、共生という言葉は『正しさ』を生み出してしまう。ある日本人の友人が、外国人との生活トラブルが起きたときに『共生』っていう言葉を使われると、すごく苦しいと話していました。もちろん、彼は差別をしたいわけではない。でも外国人と『共生』できない自分が、どこか間違っているんじゃないか……と感じてしまったそうです。
共生の理念があることはとても大切です。でも、それはトップダウンで決められる価値ではない。共生は、日々のやりとりであったり、いっしょに問題を解決していくなかで自然と育まれるもの。それは崇高な目標ではないし、目指して突き進む理念でもない。もっと自然な交流の中に生まれるものだと思います」
共生社会、多文化共生といった言葉が一般的になっていくにつれ「共生」は、果たすべき義務へと変わる。すると、息苦しさが生まれ、バックラッシュは簡単に吹き出すだろう。あえて、映画祭の場で語った川田さんの「共生」という言葉に対する疑念は、隣人としてクルドの人々と共に生きてきた彼だからこそ語れる言葉であった。
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執筆者:萩原雄太(はぎわら・ゆうた)
演出家、かもめマシーン主宰。主な作品に、『福島でゴドーを待ちながら』、『俺が代』、『電話演劇シリーズ』など。18年、ベルリンで開催されたTheatertreffen International Forumに参加。19-20年、22-23年、24-25年セゾンフェロー1に採択。23年、Asian Cultural Council New York Fellowshipに採択され、NYに滞在。ジョージタウン大学・Laboratory For Global Performance & Politics 2024-2026のGlobal Fellowに採択される。
撮影:鶴若仰太