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レポート:#3 北区 上映&トーク/Report: #3 Kita-ku Screening
2023.07.04

レポート:#3 北区 上映&トークReport: #3 Kita-ku Screening

2023年5月21日、直前の2日余りにわたるワークショップを経た「KINOミーティング #3 北区 上映&トーク」が東京都北区「北とぴあ」にて開催されました。
〈作品から見えた新しい可能性を観覧者とも共有し、より深めていく場〉として開催された本イベントは、トークゲストに比較文学者、詩人の管啓次郎さんを迎え、ワークショップ参加者13名、一般観覧者20名が参加。前半は、ワークショップにて制作された映像作品「シネマポートレイト」の上映、参加者と管さんによるディスカッションが行われ、後半はKINOミーティングの前身のプロジェクトから生まれた映画「ニュー・トーキョー・ツアー」を上映。海外に(も)ルーツをもつ人たちがまちに出て、協働して制作する映像作品が放つあらゆる可能性を実感できる時間となりました。

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「シネマポートレイト」上映 & ディスカッション

シネマポートレイトは、ワークショップの参加者が3人1組のグループになり、まちを歩きながら自らの「ルーツ」を探す旅に出て制作された作品です。旅のなかで記録された語りと風景をあわせ、2分間の映像としてまとめられています。今回のワークショップでは、4つのグループに分かれて北区の異なるエリアで制作を行いました。イベントでは2つのグループごとに作品の上映、ディスカッションが行われました。

グループA&C上映

〈グループA:出発地=田端駅〉
カナダ出身のOの作品は、建物の外壁のほか、屋内外のさまざまな「階段」を中心に展開。『私のこども時代、階段は大切な部分、役割でした』誰にでも人生において象徴的なモチーフとなりうるものがあり、そういったことに気づいていくことができる、という内容が語られていきます。

中国出身のSは、幼少期にマンガやアニメを見て日本に憧れたこと、学生時代も日本のデザインに感銘を受けた話を、まちに存在する意匠の数々の写真と並行していきます。そこから日本への移住を決めた際、友人に「本当にそれでいいか」と心配されたときの話に。『止まるか、止まらないか』道路にペイントされた「止まれ」を写しながら語られた話は、最終的に「止まらずに」新しい生活をしてきた自身を肯定して終わります。

中国出身のLは、友人と「丸・円」を探すゲームをした話、小学校時代の運動会の話、公園で初めて木登りをしたときの話を展開。田端のまちなかやL自身が、時と場所を変えて話された内容とシンクロするような内容で映像は進んでいきます。『木も自然の一部、私たち人間だってそうだし。でも人間のために木をカットしなければならないのは……ほかの方法があるのでしょうか』

シネマポートレイトグループA

〈グループC:出発地=東十条駅〉
中東の国々で育ったYは、自身の容姿にこだわりがないことを理由に、美容師に髪型を任せるというエピソードを披露。「目に見えるルーツ=容姿」「目に見えないルーツ=性格」があるということを分析します。最後はメンバーから「いままでやったことの中で一番危なかったことは」と聞かれ、『……これ、録音したらやばいかも』という意味深な発言とともに終わります。

中国出身のSの作品は、路上に置かれた椅子の写真からはじまり、東京への引っ越しを機に家具をそろえたこと、椅子の前世について空想を巡らせたことについて話を展開させていきます。木々が生い茂る公園の写真数枚とともに、大学時代に地球の歴史を勉強した際に長時間ハイキングに出かけた公園と十条の公園が似ていること、地球が生まれてからを考えると人類の歴史はあっという間、という話が展開されました。

中国出身のBは以前も東十条に住んだ経験があり、なじみのある場所を辿りながら当時の寮の様子やスーパー事情、最近した料理の話などについて触れていきます。
今回の制作時の条件のひとつ、「映像の最後に必ずチョークでまちに名前を書いたショットを入れる」の前に、路上にチョークで絵を描いている様子を挿入。自身のこども時代にチョークで絵を描いた記憶について語りました。

シネマポートレイトグループC

グループA&Cディスカッション

上映終了後、モデレーターの関あゆみ、参加者、管さんとのディスカッションへ。互いの完成作品を初めて鑑賞した参加者たちからは、他作品に対し「同じことを思っていた」「日本への移住者同士として励まされた」と述べる声がいくつか挙がりました。3日間のハードスケジュールをともにこなしたグループメンバーの間には、2日前に会ったとは思えない信頼関係が伺えました。

メンバー同士の相槌も多く収録されていたグループCは、「2分間話す」という条件にハードルを感じる人もいたことから、お互いをインタビューし合う形式に落ち着いたそう。Yも「初対面の人と親しくなりたくて相槌をこころがけていた」と振り返りました。サポートし合う関係から導き出された語りや、撮影のやりとりもあったのでしょう。

グループA&C/ディスカッション

参加者たちグループA&C

一方で、迷いや難しさを口にする参加者も。グループAのOは最初に撮影役を担当したため、どの程度の自由度をもって撮影に挑もうか迷い、また「階段」に対する抽象的な考えを日本語で説明することが難しかった点を挙げました。
同グループのSは、普段は事前に計画を立て行動するタイプだが、今回は偶然に任せたことが多く、道ゆくまちの人とも会話があったことも印象的な出来事として語りました。日頃から散歩をしながら写真を撮るのが趣味というLも、現場で瞬発的に出てくる話題や、仲間と話し合いしながら散歩することに面白さを見出していたそうです。
録音ボタンを押し忘れるハプニング、道ゆく女性や犬を散歩する中学生に自分たちの活動について尋ねられ会話したこと……こういった「作品の外」で起きた出来事も、シネマポートレイト作品をつくる一助となっていたはずです。

管さんも、自身が教鞭をとる大学院でも映像制作のワークショップを実施した経験から、短期間に濃密な制作工程をともにすることで、ときに葛藤もありながら信頼を深めるこのワークショップ形式を重要な経験であるという点を参加者に呼びかけていました。

グループA&C/ディスカッション

ゲストの菅啓次郎さん(左)モデレーターの関あゆみ(右)

グループB&D上映

〈グループB:出発地=十条駅〉
電話ボックスを目前に、出身地の香港にも昔は電話ボックスがたくさんあったこと、好きな映画のワンシーンに電話ボックスが出てくることを語るT。十条の住宅街やゴミ捨て場、飲食店のバックヤードと思われる場所が映し出されていきます。

『みんな英語の名前あるけど、私まだ中国語の名前使っている。それは多分私の、ルーツのひとつ』

そうして電話ボックスにチョークで名前を書かれたカットで映像は終わります。

ニューヨークと台湾で育ち、日本で都市計画の研究をしているG。三ヶ国語を話せる自分が、話す言語ごとに『自分の性格も変わる』と話します。都市計画の話に沿い、歩道橋や道路のカットが続いていきます。そしてこどもが外で一人で遊ぶことが危険とされるニューヨークと異なり、台湾と日本では逆の状況で、この点が自身のルーツのひとつである、という話へ。

『ルーツは、人がいる場所が一番大事だと思う。モノやコトではない』

中国出身のMの作品は、自身や看板、手書きの文字が写り込むカットが比較的多い構成。テキスタイルデザインが好きで、日本ではよく古着屋へ行くこと、自身や家族、中国での一般的な女性像やファッションへの意識について、翻って日本ではさまざまな女性像やファッションスタイルがよしとされることについて語ります。

『でもここなら大丈夫(略)自分の人生は自分でつくります』

シネマポートレイトグループB

〈グループD:出発地=赤羽駅〉
Kは『こどもの頃のことを思い出す風景を探す旅にしたい』と宣言し、埼玉に住んでいた幼少期の公園にまつわる思い出を語ります。また、こどもの頃に育った家が瓦屋根の平屋で、現在も瓦屋根を見かけると自身の育った家を思い出す、という話とともに赤羽の瓦屋根の門構えが映し出されます。
『人生経験、そういうもの自体がきっと僕のルーツでもある』
祖父母の家に向かうときのバスがよく遅れて来た、という話とともに赤羽のバス停にいる自身が映し出され、バス停のベンチに名前が書かれたカットで終わりました。

中国出身で都内で働くYは、公園の石積みを登るカットからはじまり、ボルダリングをイメージし登ったこと、故郷の蘇州にも岩がたくさんある場所があったことについて語ります。来日当初、東尾久の寮に住んでいた頃の都電荒川線や舎人ライナーの記憶、好きな映画に荒川線が登場したことで『自分の生活が映画と繋がった/都電荒川線への気持ちも変わった』という話が、電車やホームの風景や環境音とともに語られていきました。

中国出身の留学生Lは、自身やメンバーが写る写真がほとんどを占める構成。『いまから電話ボックスについて話します』と語る内容について宣言したあと、こどもの頃の正月休みに家族と旅行に出かけた際に迷子になった思い出、迷った挙句辿り着いた電話ボックスから母親に連絡したことを語りました。終始まちの音が聞こえ、最後にカメラから印画紙が出てくる音で作品を終えたのが印象的でした。

中国出身の留学生Cは、日本で外国人が家を借りることの難しさについて自身の実体験をふまえ語っていきます。映像は赤羽の住宅街、「誰かの家の前」と思われる場所を中心にほぼ全てのカットにCが写る構成。日本人(貸主)と外国人の借り手のコミュニケーションの難しさについて触れつつ、『人同士が本当に理解すること』について語られました。

シネマポートレイトグループD

グループB&Dディスカッション

関は2グループの作品の主な特徴として、文字、言語に関する話題、土地の具体的な名前が出てきたことを挙げました。続いてグループDのKが「撮影したり録音するとき以外の会話、記録されなかったものも大事だったように思う」と発言。反対に、マイクを向けられたからこそ有機的に引き出される話もあり、特に今回は「作品をつくる」という前提がうまく作用したのでは、との考察が挙がりました。自身の瓦屋根との縁を知らずに写真を撮影したCに対し「写真を撮ろうと思ってくれてありがとう」と感謝する場面も印象的でした。

グループB&D/ディスカッション

参加者たちグループB&D

「歩く最中は携帯電話の使用を禁止」「10枚の写真で映像を構成する」といった作品制作のための諸条件があることで「自分の想像力や考えの面白さを見つけることが多かった」と話すのはG。当初の意図から逸れた語りが、結果的に映像に使用される点が興味深かったそう。
また、通常の撮影現場では監督とスタッフ、俳優のヒエラルキーが生まれるが、ここでは三役に分かれそれぞれが自由に撮影、録音、語りに徹することでおもしろい状況ができたとKが振り返ると、管さんもシネマポートレイトの手法が精神分析のあり方に通じる点を指摘。語り手が一定時間内で自由に語る経験を何度か繰り返していくと、語り手の潜在意識にある記憶やイメージのあり方、「どのように世界を見ているか」がはっきりと浮かび上がってくるそうです。

「ルールがあることは重要なこと。思い出は莫大な密林のようなものだが、一枚の写真で切り取ることでいろんなことがそこに結晶され、自分のあり方を振り返ることができる。結果として(協働する者同士を)知り合うフォーマットとして成功している」(管さん)

グループB&D/ディスカッション

「ニュー・トーキョー・ツアー」上映 & ディスカッション

休憩を挟み、KINOミーティングの前身プログラム「Multicultural Film Making ルーツが異なる他者と映画をつくる」から生まれ、2022年に完成した映画「ニュー・トーキョー・ツアー」の上映が行われました。「シネマポートレイト」ワークショップを通じて語られた参加者のエピソードを台湾出身の鄭禹晨(テイ・ウシン)監督が一つの脚本に束ね、参加者と一緒に4ヶ月間映画制作を実施し生まれた作品です。

「ニュー・トーキョー・ツアー」 予告編

上映終了後に鄭監督、出演者の金珉華さん、管さん、プロデューサーを務めた阿部によるディスカッションを実施。話された主なトピックについて要約してご紹介します。

〈映画のタイトルに込められたもの〉
「ニュー」は英語の「新しい=new」と「既に知った=knew」に掛けており、作中で最近来日したト・シキ、来日4年目で既に日本の色んな側面を知ったウンジという二人の登場人物の対比をつくる意図を込めてつけられた、と語る鄭監督。ほぼ全員の登場人物が「どこかから来てまたどこかへ向かっていく」というドラマをもっており、その象徴としてゲストハウスが登場します。
管さんは「これがまさにいまの東京の姿、東アジアの姿」と話し、20世紀以降、紆余曲折を経てさまざまな国の人々が行き交うようになった「日本の最先端の部分を捉えた映画」と評しました。橋や川といった水辺にまつわるロケーションが頻出する点も、水のまちという側面をもつ東京の姿を表す一端を担っていたと言えます。

「ニュー・トーキョー・ツアー」/上映 & ディスカッション

キン イナ役を演じた金珉華(左)監督を務めた鄭禹晨(右)

〈制作関係者間のコミュニケーション〉
鄭監督が用意した筋書き以外はほぼ撮影現場で即興的に演出・撮影された本作。ワークショップを通して顕在化した参加者の共通経験について話し合いながら制作が進みました。鄭監督は日本語での会話に苦手意識がある出演者に「編集するから大丈夫」と声がけするなど、リラックスした居心地で撮影が行われるようこころがけたそう。出演した金さんも「『演技』をそこまで意識せず緊張しすぎない、関係者全員にとって安全な場所と認識できる雰囲気が作品に現れたのかもしれない」と振り返りました。
これに対し管さんは「非常に繊細な判断をもって作られた作品。(制作過程での配慮が)自然な感じにつながったのでは。特に言葉のやりとりをとても大切にしていて、映画に収められた場面が東京には無数に起きていると思えるし、『日本語が主題となった作品』という見方もできるのでは」とコメントしました。

「ニュー・トーキョー・ツアー」/上映 & ディスカッション

〈面接のシーン〉
作中でウンジが就職活動の面接で「なぜあなたは日本で働きたいのか」と面接官に問われる場面があります。鄭監督が制作初期から構想していたというこのシーンのやりとりは、外国人に対する「なぜあなたが日本にいるのか」という難しい問いに直結しているものでもあります。管さんも「とても抑圧的な問い」とコメントし、日本社会が「外国人」をいかに受け入れるかという諸問題に繋がる台詞であると話しました。「そう聞く側の気持ちも、答えが出ず口ごもったウンジの気持ちもわかる。日本にいるからここで働きたい、それ以上の答えはなくてもいいと思うんですけどね。それでも答えを強いられる状況は、世界中で起こっていることだと思います」

「ニュー・トーキョー・ツアー」/上映 & ディスカッション

ウンジの面接のシーン「ニュー・トーキョー・ツアー」 より

編集後記

今回のレポート執筆を担当した私自身、2-10歳までを米国で、まさに異なるルーツをもつ人々が集まる場で生活し、国内外さまざまな場所で転々と生活してきた身です。異なる環境を経験し、多くの人に出会っていくうちに、気がつけば過去の経験や記憶をシンクロさせ、異なる時間と場所を同時発生的に繋げて捉える癖ができていきました。おそらくこういった感覚は「海外に(も)ルーツをもつ人々」に限らず、国を問わず「異なる場所」を経験したことのある方なら誰しももちうるものだと考えます。「シネマポートレイト」は、こういったシンクロ感覚を顕在化させ、参加者が自身の過去と現在を検証する格好の方法だと感じました。
また、ルーツにまつわる内省的なコミュニケーションを共有した人同士の間に生まれた信頼関係が、映像や語りとしてかたちになっている部分の輪郭をつくる大きな礎となっていることが、イベントに終始流れていた穏やかな雰囲気から感じ取れました。

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トークゲスト:管啓次郎
詩人、明治大学理工学部教授
比較文学研究者としてカリブ海のフランス語文学、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)文学などを研究しつつ、『コロンブスの犬』にはじまる批判的旅行記や批評文を発表してきた。『斜線の旅』で読売文学賞受賞。2010年の最初の詩集『Agend’Ars』以来、8冊の詩集を刊行し、20か国以上の詩祭・大学で招待朗読を行っている。明治大学では理工学研究科に「総合芸術系」を設立。文芸創作や批評理論を教える。

筆者:瀧瀬彩恵
1990年東京生まれ、米国育ちのち神奈川育ち。編集・執筆・翻訳など言語化や伝達に従事する傍ら、言葉と身体について考察している。2022年、自身の身体感覚・言語感覚・アイデンテティの周辺にまつわるエッセイ集「言葉は身体は心は世界」を上梓。様々な分野の表現者と、文筆と広義の「翻訳」を通して協働している。現在は東京圏と静岡県富士市で二拠点生活を実践中。 富士市吉原商店街を拠点に活動する文化芸術プラットフォーム「吉原中央カルチャーセンター」共同主宰。