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レビュー:映画づくりと新しい共同体のかたち —— 映画『オフライン・アワーズ』とKINOミーティング/執筆:三好剛平(三声舎/Asian Film Joint)
2025.06.20

レビュー:映画づくりと新しい共同体のかたち —— 映画『オフライン・アワーズ』とKINOミーティング執筆:三好剛平(三声舎/Asian Film Joint)

「私はなぜ撮るの?」
—— 映画『オフライン・アワーズ』場面より

映画『オフライン・アワーズ』は3つの短編からなるオムニバス映画であり、東京アートポイント計画 ※ の一環として実施しているプロジェクト「KINO ミーティング」(2022~)にて制作された作品である。

KINOミーティングは「海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内のさまざまなエリアで映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト」として「背景の異なる人々との出会いや対話を軸とした映像制作を通して、新たなコミュニケーションや協働のあり方を発見する場をつくり出す」ための活動を続けてきた。2022年、23年にはそれぞれ都内2箇所での映像制作ワークショップを計4回実施したのち、3年目の2024年にいよいよ活動の主軸としてある映画制作に着手、1年がかりでこの『オフライン・アワーズ』を完成させた。

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『オフライン・アワーズ 』より


東京のとある深夜。残業で会社に居残る3人。
退屈な作業をしながら、たわいのない会話を交わしていたが、
ふとしたことをきっかけに、
それぞれが今まで話したことがなかったことを打ち明ける——。



十数名の参加者は3つのチームに分けられ、あらかじめ設定された上記のあらすじと「決断」というテーマをもとに、3つの短編映画を作り上げた。映画の制作は、あるチームの作品では俳優として出演したメンバーが、別のチームでは助監督として作品づくりに関わるといった「役割交換」によって進められた。

第1話では廃棄予定の電子レンジ、第2話ではある女性の忘れたい過去、第3話では一人の人物の退職を巡り、それぞれの「決断」の物語が描き出される。メンバーの実体験から膨らませた各話のディテールには、出身国を離れて日本で暮らすかれら自身の寄る辺なさが滲むエピソードもあれば、ここまで映画づくりを重ねてきた時間と経験が結晶したような場面もあり、どれにも見どころがある。

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『オフライン・アワーズ 』より

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『オフライン・アワーズ 』より

もっともその1年間にわたる制作プロセスは、関わる全員にとって試行錯誤の連続でもあった。国籍も価値観も異なる数十名のメンバー全員で互いに役割を交換しながら、皆が「自分の作品」として納得がいく映画を作り上げるという挑戦。いわば「全員野球」ならぬ「全員映画」を志向した過程に現れる無数の奮闘と葛藤は、参加者たちになにをもたらしたのか。ここからもう少し詳しく見ていきたい。





まず、なにをおいても映画制作は共同作業の現場である。俳優はもちろん監督、撮影、録音、美術、助監督など作品を成立させるにはそれぞれの構成員が引き受けた役割をきちんと果たすことが求められる上に、その制作プロセスは集団による合意形成の連続である。たとえその現場が監督など一部の人間の独断的な意思決定で強行されるものになったとしても、そこにはなお不均衡なりの共同体の構造が立ち起こる。

KINOミーティングが開始される以前にも『Cross Way Tokyo』(2020)、『Multicultural Film Making』(2021,以下MFM)という二つのプロジェクトが前身として実施されてきたが、そのいずれにおいても「背景の異なる他者との関わり」をテーマとしてきた。特にMFMからはそのあとのKINOミーティングに繋がる「背景の異なる他者との映画制作」を開始しており、当時の狙いは以下、プロデューサーの阿部航太によるテキストにも表明されている。


今回はアートプログラムという特殊な状況下ではあるが、映画制作という共同作業の現場として、多様なルーツをもつ人々が集まる場をつくる。言語のハードルや、価値観のギャップを受け入れ、すり合わせながら、自身のコミュニティ外にいる他者とコミュニケーションを交わす。そう考えると、メンバーが集まったその状態も「新しいまち」と呼べるかもしれない。出自も、東京(その近郊)で過ごした時間もバラバラなメンバーたちは、どのような「まち」をつくっていくのだろうか。
——『Multicultural Film Making Archives』(アーツカウンシル東京、2022年)


「背景の異なる他者」が寄り集まった映画制作クルーをひとつの「まち」や「社会」と見なし、その共同作業で育まれていく変化を検証すること。加えて、 MFMではメンバーとの協業で生まれた脚本や映像フッテージを一人の監督が仕上げるかたちで映画が完成されたのに対し、KINOミーティングではメンバーが役割を交換しながらあくまでかれら自身で作品を完成させるやり方で進められたため、参加者にはいっそう自己と他者という両者の視点を念頭に置いた共同体の運営が求められた。その中核には「自分とは異なる意見や、考えの異なる他者と出会った際にも、私たちはいかに対等な関係を保ったまま、ともに生きていくことができるのか?」という問いが据えられている。





とはいえ映画制作において、全構成員の意見を対等に反映させ、鑑賞に堪える作品に仕上げることは不可能に近いため、そこにはその共同体なりの「民主的な合意形成」のモデルが求められる。真っ先に連想されるやり方に多数決があるが、KINOミーティングはただ性急な意志決定だけを積み重ねて目的を達成することを良しとはしない。あくまでまずは構成員の誰もが尊重される「民主的な関わり合い」を実装した共同体のあり方を模索することであり、その上でよい成果(作品)が生まれることが期待された。

ここで筆者が連想するのは民俗学者の宮本常一が『忘れられた日本人』に紹介した、日本の旧村落における合議制度「寄りあい」である。寄りあいでは、共同体で決議すべき議題が出ると構成員一同が一つ所に集まり、三日三晩みんなが納得するまで話し合われる。しかしそこにイメージされる「熟議による満場一致」といった厳格な雰囲気とは異なり、実際は食事や雑談、雑魚寝も交えたきわめて鷹揚な雰囲気のなかで執り行われるものだったという。

誰かを論破して採決を取り付けるのとは異なり、合議を終えたあとにも同じコミュニティのメンバーとしてともに暮らし続けていかねばならない現実をふまえた「共同体としての」合意形成の作法。それこそが寄りあいという合議を積極的な妥協と総合へ導く「民主的な」コンセンサスの実現法であった。

もっとも、KINOミーティングの構成員は同じ村や組織に所属するのでもない、プロジェクトを終えれば接点も失うような十数名の他人同士に過ぎない。そんなかれらにどうすれば、ときに妥協や譲歩をも受け入れ得るような共同体意識を共有することができるのか? ここにおいてもやはり「映画制作」が、その効力を発揮する。





ここからはその「映画制作」の更なる効力について、映画『オフライン・アワーズ』の制作の舞台裏を追ったメイキング映像『オフライン・アワーズ BEHIND THE SCENES』の内容とともに検証を進めてみたい。

「作品づくり」という引力

メイキング映像には、映画制作を進めていくなかで、見ているこちらも緊張感を覚えるような気迫で議論を交わす場面が数回登場する。それぞれルーツの異なる参加者たちは対話の作法も異なるため、それがどれほどの感情を伴ったものかを正確に測ることは難しいが、ある場面に至ってはその様子を見ていたメンバーから「喧嘩してない?」と心配されるほどの勢いだ。

これを見たとき筆者は、映画制作ひいては創作活動に宿る危うい引力を痛感させられた。なぜならそこで行われているのは、あくまでほんの1ヶ月前には着想すら与えられていなかった、(その時点では)存在しない映画作品についての議論であり、また、実在するわけでもない一人の登場人物の設定についての紛議なのである。それでもひとたび受胎し、すべてのメンバーと臍帯で結ばれたその「自分(たち)の映画」は、少しでもよいかたちで世に生出されることが苛烈に求められる強い意志となる。それによってかれらは結束し、度重なる議論と譲歩を重ねながらでもなんとか共同体を保持しながら、映画を完成させるのだ(もっとも、議論が加熱し始めた際には周囲の運営スタッフがやわらかに介入し、状況を取り成していたことも付記しておく。ただ参加者を集め放任のまま真に共同体として運用されるまでには、これとは比べ物にならない時間を必要とするはずだ)。

「よい作品」という引力

あるワークショップのなかで阿部は水平な天秤が描かれたシートを参加者に見せる。天秤の左には「よい作品をつくること」、右には「よい現場をつくること」と記されており、そのバランスについて以下のように続ける。



「よい作品をつくることと、よい現場をつくることは、もう同じ重み。どっちかに傾いちゃダメ。よい作品をつくることを優先して誰かが傷ついたりとか、ものすごい負担がかかるっていうのはやめよう。もう一方で、ただよい現場をつくろうと思って、ただただ楽しく和気あいあいやっているだけだと、よい作品は多分できない」
「難しいことをやってます、僕らは。だからみんなで方法をみつけていかなきゃいけないんですね」
——『オフライン・アワーズ BEHIND THE SCENES』場面より

「よい作品」という引力/

阿部が説明時に使用したスライド

いざとなればKINOミーティングでは「背景の異なる他者との関わり合い」を優先し、映画制作はあくまでその「手段」に留めて質は問わないという発想も有り得たはずだ。しかしなお「よい作品」を求めたことで、どのような効果が生まれていたか。

まず、求める作品の質を高めに設定することで、参加者同士のコミュニケーション量を増大させる効果。上述した通り映画制作は共同作業の現場であり、関わる構成員全員が納得できる「よい作品」をつくるためには、より多くの対話や議論が必要となる。もともと創作行為それ自体にも作品の質を上げていこうとする内圧的な駆動力があるが、そこに敢えて「よい作品」としての完成を求める外圧を付与することで、共同体としてのコミュニケーションを促すものとなっている。

もうひとつは「よい作品とはなにか?」という問いがもたらす効果である。この制作現場には国籍も文化も異なるメンバーが集まっており、当然のごとく一人ひとりにとって「よい作品」の条件や内容も異なる。そもそも作品の良し悪しは民主的には決定しきれないものであるなかで、なお自分たちにとって「よい作品とはなにか?」という問いは、例えば互いの創作の提案に対するフィードバックの場面における発言ひとつにも影響をもたらしていたのではないかと察される。





ここまでこの企画の核心を探り直すうちに、あらためてそのタイトルの雄弁性を噛み締めることとなる。KINO Meeting。映画(KINO)を通じた、他なるものとの出会い(Meeting)。meetingには「会合、寄りあい」「合流点」という意味もある。

「一緒に映画をつくりませんか」というひとつの呼びかけが、出会うはずのない他者同士を交わらせ、人々を無数の「他なる瞬間」との対峙へ誘う。そうして創作された映画作品を通じて、まるで他者と出会うように自分自身と出会い直した者も多くいただろう。このプロジェクトは、映画を通して他なるなにかと出会い直し、ともに生きていく手立てを模索するひとつの実験であった。

最後に、この映画の初披露となった2025年3月の上映会で筆者が感じた所感を以て、本稿を閉じたいと思う。

当日は1年越し(人によっては3年越し)で完成した作品のお披露目とあって、さぞ参加者一同エキサイトしていることだろうと現場に乗り込んだが、アフタートークの壇上に続々と現れるかれらの様子は、拍子抜けするほどに「平熱」なムードであった。もちろん数名は若干上気している者もいたし、多くのメンバーは慣れない客前の登壇に緊張していたこともあったろうとは思うが、それを差し引いても、メンバー同士の質疑で回していくそのトークイベントは予想していたよりもずっと淡々としたムードのまま終了した。

「よい作品」という引力/

試写会でのアフタートーク1

「よい作品」という引力/

試写会でのアフタートーク2

その後、この原稿を書くために完成した映画やメイキング映像を見返すとともに何度もあの日の場面を思い起こすことになるのだが、そのうちに実はあの「平熱」具合こそがひとつの新しい共同体の姿だったのかもしれない、とも感じるようになった。

他者の考えを自分の意見でやり込めることは良しとしない。その倫理を手放さずに進めた1年間の映画制作を通じてかれらが育んだのは、熱狂や勢いに結束された「全体」でもなければ、考えの違う誰かを村八分にしてしまう仲良し集団でもなかった。それこそがあの日壇上に現れた、他者を他者のまま尊重し合う個人同士がそのままゆるやかに共存する「平熱」の共同体ではなかったか。

じっさい、登壇したかれらの様子に筆者が見たものは、無理に足並みをそろえようとせずともその揺らぎをそのまま引き受け合える程度に育まれた適度な信頼関係であり、他方なお決してゼロにはならない互いへの緊張感とが不断に往復する、きわめて現実的な光景だった。そのように表現してしまうとあまり魅力的に聞こえないかもしれないが、そうでもない。あの「平熱」な関係性がかれらの時間と経験の先にある、特別ななにかであることは確かだった。例えて言うならそれは、一聴して誰をも魅了するような澄み切った和音の響きではなかったかもしれないが、予測を裏切りながらも次なる解決を志向するテンションコードのように複雑な響きとして、いまなお筆者のうちに残響している。

願わくば、このプロジェクトに参加したメンバーたちが、それぞれのコミュニティへ帰ったあとにも、ここで得た共同体の作法を生かして、次なる協働を育んでいってくれたらと思う。皆が重ねてきた民主的実践の先に、どのような共同体の姿が実現するのか。その成果と出会える日を、いまから心待ちにしている。
(了)

※ 東京アートポイント計画
社会に対して新たな価値観や創造的な活動を生み出すためのさまざまな「アートポイント」をつくるために、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が、地域社会を担うNPOとともに展開している事業。実験的なアートプロジェクトをとおして、個人が豊かに生きていくための関係づくりや創造的な活動が生まれる仕組みづくりに取り組んでいる。

執筆者プロフィール

三好剛平 Gohey Miyoshi
福岡を拠点として、映画・文化芸術にかかわるプロジェクトを中心に企画、制作、執筆等を行う。株式会社三声舎代表。アジア映画の上映&交流イベント「Asian Film Joint」主宰。LOVEFMラジオ「OUR CULTURE, OUR VIEW」制作・出演ほか。